2019.04.24.Wed
若手の国会議員が提唱
新しい日本を創る
改革とは
少子高齢化、増税による景気低迷、冷え込むアジア外交……今のニッポンを取り巻く課題は、ひと筋縄ではいかないものばかりだ。この難局をどう乗り切るのか。与野党の若手国会議員4人に、取り組むべく改革と2030年のニッポンの姿について、熱く語ってもらった。
「意識をポジティブにして、社会構造も変革させる」
村井英樹衆院議員(自民)
村井議員(38)の初当選は、自民党が政権に返り咲いた2012年衆院選。いわゆる「魔の3回生」世代だが、元財務官僚のキャリアをいかして、多彩なアイデアを出す政策通だ。小泉進次郎議員(38)とともに、党の若手議員20人で「2020年以降の経済財政構想小委員会」(通称「小泉小委員会」)を立ち上げたのが2016年2月。少子高齢化に対応する年金制度や子育て支援策など、さまざまな政策を作り上げてきた。掲げるキーワードは「人生100年時代」だ。
「小泉さんが作り出した言葉ですが、少子高齢化の問題をこのように言い換えることで、みんなが前向きに、『自分ごと』として考えるようになるのではないかと思っています」
小泉小委員会は昨年3月、「2020年以降の経済社会構想会議」に格上げされた。さらに、スピーディーな政策実現のための国会改革を議論する超党派の勉強会「平成のうちに衆院改革実現会議」も動き始めた。自身も2017年8月から1年あまり、内閣府政務官を務め、提言した政策は形になりつつある。私生活では、3人目の子どもがもうすぐ生まれるところだ。
2030年になったとき、日本が抱えている課題としてまず頭に浮かぶのはなんですかーー村井議員にこう尋ねると、よどみなく答えが返ってきた。
「2030年に私はちょうど50歳になります。そのとき、何がこの国の問題になっているか。それは、多くの人が日本の行く先に明るい未来が描けない、つまり、さまざまな課題に日本が押しつぶされるんじゃないかという問題意識を人々が持っていること、それ自体が問題だと思うんです」
第4次産業革命をプラス転換に
人口減少で経済は成長せず、所得も増えない。社会保障も負担が増える一方で、給付が削減されるかもしれない。多くの人が、この国の行く末に不安を持っているのが実情だ。それでも村井議員は言い切る。
「私は、本当に日本の将来は暗いんですか、ということを提起したい。必要な改革を進めれば、日本は十分やっていけるということをみなさんと共有したい」
具体的に、どういうことなのか。まず村井議員が指摘するのは、これから2020年代、2030年代に本格化する「第4次産業革命」のインパクトだ。従来、IoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)、ロボットなどの技術革新が、人々の「働き口」を奪うのではないかと懸念されてきた。しかし村井議員は、若者世代が減少しつつある日本の人口ピラミッドでは、むしろプラスに転換できるのではないかと言う。
「これまでの経済成長モデルは、とにかく農村部の若者が都市部に出てきて、労働力になることで経済成長を遂げていく、というものでした。しかし昨夏、インドの自動車工場に視察に行ったとき、彼らは意図的に自動化を遅らせている、と聞きました。インド政府から、なるべく人を使ってほしいと言われている、と。つまり、本当ならばもっと高い生産性の経済構造を構築できるのに、雇用を維持するために政府が配慮しているのです。日本では、若年世代の減少がマイナスの文脈で捉えられていますが、第4次産業革命で省人化、省力化が進む局面では、必ずしもそうではないのではないかと思うのです。例えば、介護分野に先端技術が導入されれば、これまで2人でやっていたことが1人でできるようになる。労働生産性が倍になれば、給料が上がる可能性も出てきます」
意識改革で社会構造を変える
もう一つ、村井議員が指摘するのは、年金・医療・介護など社会保障の分野だ。国の推計では2017年の時点で、65歳以上の高齢者1人を18~64歳が2.1人で支え、2040年には高齢者1人を1.5人で支えることになる。
「これに対応するために負担を増やすか、給付を減らすか、というのが従来の議論でした。しかし、『支えられる側』を65歳以上ではなく75歳以上にするとどうなるか。1人を支えるのに必要な18~74歳は2040年で3.3人、2065年でも2.4人になります。十分に現在と同程度のバランスを取っていけるはずです」
実際、日本の高齢者はこの10年で運動能力が5歳若返っているというデータもある。
「年金は、受給の開始時期を60歳から70歳の間で選ぶことができるんですが、意外に知られていません。70歳まで受給開始を繰り下げると、65歳(標準受給開始年齢)に比べて受給額はなんと42%もアップします。これを、たとえば75歳まで後ろ倒しできるようにすると、65歳のときと比べて倍近くアップする計算になる。そうなれば、自分の身体を労わりながら、70歳や75歳まで働き、それから年金をもらって豊かな老後を過ごそうか、ということを考えるのではないでしょうか」
もちろん、そうした状況をつくりだすには、年金の受給年齢の問題だけでなく、さまざまな施策を組み合わせることが必要だ。そして、持続可能な社会保障を実現するためには、人々の意識が変わる"きっかけ"が重要になる。
「つまり、『健康で長く働いたほうが得だ』という形をつくることで、就労インセンティブが生まれるようにする、ということです。もちろん、死ぬまで働け、という話ではありません。ただ、なるべく長い間、元気で現役で社会にかかわっていきたいと思っている人は少なくないはず。こうした取り組みが進むことで、いままでの社会構造が変わり、個人の幸せと経済社会の持続可能性が両立できると思うんです。議員として、そうした変化を実現させたいと思っています」
「支援策の充実で、少子化を克服した国にする」
三浦信祐参院議員(公明)
180センチ、80キロのガッチリした体格。242人いる参院議員の中でも、三浦議員(44)は目立つ存在だ。昨年の通常国会では、政府が最重要法案に位置づけた「働き方改革関連法」について、与党で最多質問。高度プロフェッショナル制度の定義を明確化させたり、正社員と非正規労働者との格差是正を求めたりするなどした。論戦の場でも存在感を示している。
「党から多くの機会を与えてもらっています。委員会では安倍首相や大臣と対峙しますが、胸を借りるつもりでぶつかっています」
研究者から政治家に
幼いころの夢はパイロットだった。小学5年の時に起きた日航ジャンボ機の墜落事故の原因が「金属疲労」に関係すると知り、金属工学の道に進んだ。千葉工業大学を卒業後、防衛大学校で18年間教べんをとり、東工大で工学の博士号も取得。4年に一度開催される先進発電機器材料の国際会議で、日本人初の最優秀賞(ベストポスター賞)を受賞したこともある。
「金属工学は物理と科学が混ざったようなもので奥が深いです。研究もやりがいがありました。しかし、2011年に東日本大震災が発生し、福島第一原発の廃炉が決まる中で、政治と研究者が協力して事故対応していない実情を目の当たりにしました。もっと政治と研究者が協力し、クルマの両輪のような形で動かないと、復興が進まないし、その後の日本も発展していかない。両者の距離を縮めたいと思い、政治家になる道を選択しました」
子育て負担を軽減させる
2016年の参院選に立候補し初当選。議員になってからは、公明党が力を入れている子育て支援にも積極的だ。10月からスタートする幼児教育・保育の無償化。党とともに必要性を訴え続け、3~5歳児は原則全世帯、0~2歳児は住民税非課税世帯の低所得者世帯が対象になった。来年4月からは年収590万円未満世帯を対象に、私立高校授業料の実質無償化もスタートする。授業料や入学金を減免するほか、返済不要の給付型奨学金を支給する。給付型奨学金の額は1人あたり最大で年間約91万円。寮生活の多い高等専門学校は、生活実態に応じて大学生の5~7割程度を支給する。
「日本は少子高齢化という言葉が踊っています。高齢化は当然止めることはできませんが、少子化は政治の力で克服できると思っています。子どもを産みたい親が、サポートする制度がないがゆえに抑制してしまう事態は、何としても避けなければなりません。私にはちょうど私立中学に入学した娘がおり、教育にはお金がかかることを実感しています。きめ細かな支援策で子育て世帯の負担を軽減し、少子化対策につなげたいと思っています。10年後の日本を『少子化を克服した国』『子どもが増える国』にすることが、私の目標です」
若者の声も政策に
防衛大学校で18年間、学生に講義をしていた経験があり、難しい政策も明瞭に説明してくれる。2年前、公明党の「若手の顔」ともいえる第23代青年局長に就任。街頭演説も力強く、4月の統一地方選挙では応援に引っ張りだこだった。若年層の「政治離れ」に危機感を抱き、若者の声を反映させる超党派の議員連盟「若者政策推進議員連盟」も自民党などとともに発足させた。
国会議員になって間もなく3年。活動の範囲を着々と広めているが、10年後の54歳になった時、どのような立場で腕をふるっているのか?安倍晋三首相の「自民党総裁8年目」に隠れているが、山口那津男氏も「公明党代表11年目」に突入している。
「私は上の立場というよりも、現場を回って色々な世代の声を聞くのが性に合っています。党の先輩や大臣を支えられるような、現場力を磨いていきたいと思っています」
こちらの"狙い"を察してか、慎重に言葉を選びながら答えてくれた。浮ついたところがない点も、党から信頼されている理由だろう。
2018年の日本は人口が44万8千人も減り、人口千人当りの生まれた人の割合である「出生率」も7.4と戦後最低を記録した。少子化対策は待ったなしだ。
10年後、日本が「少子化を克服した国」となっているかどうか。三浦議員や党の実行力に注目していきたい。
「既存システムの打破で、理想社会をつくる」
中谷一馬衆院議員(立憲民主)
中谷一馬・衆院議員(35)も、2030年の日本は、IT技術の発展による「第4次産業革命」を牽引できるか否かが、大きなポイントになると見ている。
若者世代や社会的弱者がテクノロジーの進化を享受することで、社会で活躍できるようになっていくのではないか。テクノロジーが社会課題のひとつひとつに的確にはまるように国の予算を分配していくことができれば、人はより幸せになれるのではないか――。 「そう考えるのは、私自身の生まれ育った環境に起因します」と中谷議員は言う。
母子世帯の貧困家庭で育った。小学生のころに両親が離婚し、母親は中谷議員と娘2人を育てるため夜を徹して働いたが、生活は厳しかった。母親はある時期に身体を壊し、一家は生活保護を受けることになった。
「おカネに困ると、人って心の豊かさまでなくなるんです。だけど、これは本人の努力が足りないのではなく、社会構造がそうなっているからではないか。私はそこに大きな疑問を持つようになりました。だって、1日15時間も16時間も働いているのに家族にご飯を食べさせられない国って、どうなんでしょうか。だけど、子どもだった私には、それを解決する手立てはありませんでした」
自分たちの手で政治を変えたい
いまの日本は、ひとり親家庭の母親のうち、81.8%が働いているにもかかわらず、平均年収は200万円程度という現実がある。中谷議員は中学卒業後、高校には行かず、家族を支えるために社会に出た。しかし、中卒ではなかなか仕事に恵まれず、挫折してグレた時期もあった。同じ境遇の仲間とつるんでは「社会が悪い、世の中が悪い」とくだを巻いた。
「最後に行き着いたのが、社会のルールや予算を作っている政治。これを変えなきゃ、世の中変わんないんじゃないか、ということでした。自分たちの生きる時代だからこそ、自分たちの手で政治を変えなきゃいけない」そんな正義感に駆られた。
その後、政治家になるという目標を立て、通信制の高校に行き直し、21歳で卒業した。ふとしたきっかけでダイニングバーの経営を任され、後に東証一部に上場するITベンチャー「gumi」の創業にも参画した。そして、2011年の神奈川県議選に立候補し、県政史上最年少となる27歳で当選。17年の衆院選で晴れて国会議員となった。
「私は世の中から『貧困』と『暴力』を根絶したい、平和で豊かな社会がいつまでも続く社会をつくりたい、と思っています。そして、テクノロジーの進化と社会への適切な実装が、その理想を実現させると考えています」
問題の直視で日本は変わっていく
2030年を見据えたとき、テクノロジーはこれまで以上のスピードで進化している、と指摘する。振り返れば、スマートフォンが普及し始めたのが約10年前。20年前の1999年に初めてカラー画面の携帯電話が発売され、30年前はまだポケベルが主流の時代だった。
「遅かれ早かれ"ドラえもんの世界"が来るのだろう、という感覚があります。総務省も、2030年代を見据えて『未来をつかむTECH戦略』(http://www.soumu.go.jp/main_content/000548068.pdf (外部サイト))を掲げていますが、行政自身が未来への展望を考え、動き始める時代になっているんです」
いま世界のIT業界は、米国のGAFA(グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップル)に中国のBAT(バイドゥ・アリババ・テンセント)が対抗するという大きな流れがある。そのなかで日本は、テクノロジーでも経済でも遅れをとっている。これは、まぎれもない事実だが、それを直視することで、日本が変わっていくキッカケになるのではないかと指摘する。
「いま中間層以下がどんどん疲弊し、国力が低下しています。改善するには、国の予算配分を変え、生活に苦しむ中間層・貧困層と未来を担う子どもへの投資が必要です。テクノロジーの進化は、理想を突き詰めれば、人類が労働することなく、自動的にあらゆる物の生産とサービスの提供がなされる社会の実現につながります。結果として、人々の物心両面における豊かさの一助となり、一般市民や社会的弱者が、その恩恵を受けられる社会をつくることができるはずです。この国は、ビルド(つくる)は得意なのに、スクラップ(壊す)は苦手です。いままでのシステムを踏襲することはもうできないというのに、まったく壊れない。それは、既存システムで生活している人がいるからです。その人たちに、今この一瞬をみんなで頑張れば未来に希望がある、という展望を示して進めていくことが私の役目だと思っています」
「親の声を反映させ、チルドレンファーストの国に」
伊藤孝恵参院議員(国民民主)
伊藤議員(43)は、娘2人をもつ「子育てママ議員」として知られる。
永田町の参院議員会館にある事務所の執務室に入ると、まず目に飛び込んでくるのは、大きなクマのぬいぐるみとジャングルジム。応接室との間にあるはずの壁は取っ払われ、立派なキッズスペースができていた。
「だいぶ批判の声もいただきました。税金で賄われている施設に子どもを入れるなんて公私混同だ! が第1位。第2位は、子どもがチョロチョロといる中で議員の仕事ができるのか。第3位が、母親の仕事に巻き込まれて子どもがかわいそう。だけど、地元の愛知県から出てきて、東京の保育園には入れない。家族やベビーシッターの力を借りても、急に会議が入ったりして、事務所に子どもを連れて行かざるを得ないことがあります。子育てをしながら議員の責任を全うしようとすると、どこかで永田町の"常識"を崩さないと成り立たないんです」
日本初だった育休中の国政出馬
伊藤議員は2016年の参院選で、民進党(当時)から愛知選挙区に立候補して初当選。当時はリクルート在職中で、日本で初めての育児休業中の国政出馬と話題になった。一方で、「会社を辞めて退路を断たないとはけしからん」「幼い子どもを連れて選挙とはいかがなものか」と批判もされた。議員になる前から注目を集めた身である。選挙時に3歳と1歳だった娘は、いま6歳と4歳になった。
「議員になってみて、『なるほど』と思いました。永田町って、見渡す限り男性ばかりの社会なんです。女性であること、子育てをしていること、それが強みではなくて弱みとして隠している人が多かった。女性議員が必要だ、子育てや介護経験のある議員が必要だと言いながら、実際に当選して議員になると、その両立は難しい。とても矛盾に満ちた世界です」
子どもの未来をつくる
昨年3月に、超党派の「ママパパ議員連盟」を立ち上げた。社会に必要な子育て政策を作っったり、子育てをする議員たちの環境整備を進めたりすることが目的だ。会長は自民党の野田聖子氏や蓮舫氏(立憲民主党)、高木美智代氏(公明党)、橋本聖子氏(自民党)らが名を連ねる強力布陣。伊藤議員は事務局長だ。
「そんなのカネにも票にもならないとも言われました(笑)でも、与野党すべてが参加し、現在、会員は総議員707人中78人もいます。女性に限れば約3割が入会している一大勢力です」
政治家を志したきっかけは、生まれたばかりの次女に先天性の耳の障害があるとわかったことだった。親である自分が先に死んだ後、次女はどういう日本を生きるのか、と不安になった。法律、学校、職場......さまざまな角度から調べに調べた結果わかったのは、みんな一緒、みんな平等といいながら、生まれた境遇によって生きる場所が制限される、この国の"冷たさ"だった。
「ならば、世の中にある不条理な制度や仕組みを変えることはできないのか。それができるのが政治家でした。当時の民主党の公募サイトに、『政治家の仕事はひとつだけ、子どもの未来をつくること』とあったのを見て、決意しました」
そんな伊藤議員は、2030年の日本をどう見据えているのか。
「2030年の日本がどうなってほしいかと言われれば、私の答えは『チルドレンファーストの国に』です。資源のない日本では、人材こそが一番の資源です。子どもたちへの投資を、世界一必死にやらなきゃいけない国なんです。貧困対策も、児童虐待防止もそう。事件が起きてから法制化しました、という後手後手の発想ではダメです。そして、世界で活躍する人材を育てるには、義務教育のあり方も考え直さないといけないと思います。もっと学校を地域に開放して、社会の知識を取り入れていかないと。さらに言えば、障害のある子もない子も関係なく、一緒に学ぶ『インクルーシブ教育』の普及は、一番やらなきゃいけないと思っています」
そのとき、自分はどうなっていたいですか――最後にそう聞くと、伊藤議員は茶目っ気を見せた。
「先日もベテラン議員に首根っこつかまれて、『伊藤さん、覚えておきなさいよ。政治の中心は外交や経済であって、あなたのやっていることは邪道だから』と言われました。選挙の壁があるので、ずっと議員でいられるかはわかりません。だけど、せっかく子育て層の声を聞ける立場にいるんですから、頑張って、課題の解決策を具現化していきたい。いちばんの近道は大臣になることですかね。『子ども子育て大臣』を目指します」
- 取材・文(村井、中谷、伊藤の各議員)鈴木毅(すずき つよし)
- 1972年、東京都生まれ。慶應大学法学部卒、同大学院政策・メディア研究科修了後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」副編集長、「AERA」副編集長、朝日新聞経済部などを経て、2016年12月に株式会社POWER NEWSを設立。
- 撮影(三浦、伊藤の各議員)山田高央
- 上記以外の取材、撮影はFQ編集部