ロボットが自己進化する時代

2021.08.17.Tue

エンジニア吉崎航氏が語る

ロボットが自己進化する時代

吉崎航さん(36)は、世界を驚かせるような成果を挙げてきたロボットエンジニアのひとりだ。独自のロボット制御ソフトウェア「V-Sido」を開発し、人が搭乗できる巨大ロボット「KURATAS」など、さまざまな開発に携わってきた。横浜で展示中の「実物大の動くガンダム」を制作したプロジェクト「ガンダムGLOBAL CHALLENGE」でも、システムディレクターを務めている。今回、吉崎さんにロボットの頭脳とも言えるソフトウェアと人工知能の進化について、話を伺った。

人もロボットも、無意識のうちに「考え」ている

マジンガーZやガンダムのような人が乗り込む巨大ロボットは、「ロボット」なのだろうか。そんな疑問が浮かんだのは、多くの研究者がロボットを「感じ、考え、行動する機械」と定義しているからだ。自らの意志を持たず、パイロットの操縦に従って動くロボットの様子からは、「考える」というプロセスが抜け落ちているように見える。

往年のロボットアニメファンからすると、やきもきする問題提起かもしれないが、実在する搭乗型巨大ロボット「KURATAS」の開発にも携わった吉崎さんは、「パイロットが操縦していようがいまいが、ロボットはロボットです」と太鼓判を押した。

「ロボットに意識がないからといって、何も考えていないとは限りません。私たち人間だって、無意識下にさまざまなことを考えています。例えば、あなたが『机の上のリンゴを掴もう』と思ったとします。こうした意識的な思考を担うのは大脳です。けれど、そこから実際にリンゴを掴むまでに、肩や肘、指をどう動かすのかをいちいち意識しませんよね。なのに、きちんとリンゴを掴むことができる。それは小脳やせき髄などが無意識下で筋肉の動きを制御してくれているためです。つまり、私たちが身体を動かすときには、常にこうした『無意識の思考』が働いているのです」

大脳による「意識的な思考」を、小脳などによる「無意識」が支えることで、ひとつの「行動」が成立する。この大脳と小脳の関係は、操縦者とロボットにそのまま置きかえることもできる。

「KURATASのような複雑な動きをするロボットを動かすには、複数のアクチュエーターをリアルタイムで制御しければなりません。これを搭乗者が手動で行うのは不可能なので、ロボットの制御用ソフトウェアがその処理を担っています。つまり、ロボットは操縦者の指示にただ従っているのではなく、膨大な量の情報を独自に処理している=考えているのです。搭乗型のロボットも、しっかりと『感じ、考え、行動する機械』という定義を満たしていると言えるでしょう」

オンラインで解説をしてくれた吉崎航さん

オンラインで解説をしてくれた吉崎航さん

独自技術であらゆるロボットを制御

ロボットの動きを司る「小脳」として、国内外の多くの人型ロボットが採用しているのが、吉崎さんの開発した制御用ソフトウェア「V-Sido」だ。

最大の特徴はKURATASのような巨大ロボットから、手のひらサイズの小型ロボットまで制御できる汎用性の高さにある。ロボットはサイズによってアクチュエーターの種類(サーボモータ、油圧システム、エアサーボなど)が異なるため、通常はそれに適した専用ソフトウェアをあてがうのが一般的だ。

しかし、吉崎さんはロボットの駆動部を「抽象化」して処理する独自の技術を確立。駆動方式などハードウェアの差異に左右されずに、ロボットを制御することを可能にした。操作性の高さも特徴のひとつだ。V-Sidoはリアルタイムで情報を自動補完しているため、ユーザーは直感的な操作で思いのままにロボットを操ることができる。操作デバイスも、ジョイスティックからスマートフォンまで幅広く対応する。

V-Sidoが採用されているロボットの例( https://www.asratec.co.jp/products/v-sido-os/ )

V-Sidoが採用されているロボットの例
https://www.asratec.co.jp/products/v-sido-os/(外部リンク)

あらゆるロボットを、あらゆるインターフェイスで、簡単に操作できる。こうしたV-Sidoの設計には、吉崎さんのロボット開発に対する思いが込められているという。

「私はロボットそのものよりも、ロボットの『居場所』をつくることに関心があるんです。居場所は、ロボットが社会で活躍できるシチュエーションと言い換えてもいいかもしれません。じゃあ、どんな居場所があり得るかのというと、決まった答えはないと思っています。研究者に限らず、さまざまな人にロボットの居場所を想像してみてほしいんですよ。けれど誰かが『こんなところに、こんなロボットがあったらいいな』と思いついたときに、いちからソフトウェアを設計していたのでは、お金も時間もかかりすぎてしまいます。だったら『これさえあれば、どんなロボットでも動かせますよ』というソフトウェアを幅広く提供したらどうだろうか。そんな想いから生まれたのがV-Sidoなんです」

ロボットが自己進化する時代はすぐに訪れる

ロボットは、制御用ソフトウェアという「小脳」を手に入れることで「無意識」を獲得しつつある。すると気になるのが、ロボットの大脳とでも言うべき、AI(人工知能)の進化だ。AIが人類の知能を凌駕する「シンギュラリティ(技術的特異点)」を迎えた先に、ロボットが「意識的な思考」を獲得する日は訪れるのだろうか。

吉崎さんはシンギュラリティについて、「何をもって人類の知能を超えたとするかは議論が分かれるところ」とした上で、「ロボットが自己進化する時代は、すぐにでも訪れる」と予想する。

「例えばロボットに搭載されたAIが『もう少しアームを長くすれば作業効率が上がる』と判断し、人間のエンジニアに『アームを5センチ延長してください』とリクエストを出したとします。そのアップデートが実施されたとしたら、どうでしょうか。人間による改造でしょうか、ロボットによる自己進化でしょうか。私は後者だと思います。こうしたことって、すでに起きつつありますよね。『AIを使って工場のラインを最適化する』なんて、今じゃよくある話じゃないですか。ライン全体をひとつのロボットだと捉えれば、自己進化以外のなにものでもありません」

人間は、自分たちのためにロボットを改造しているつもりだが、その実、働きアリのようにロボットからの命令に従って進化に貢献し続けている――そんな見立てが妙にリアリティを持つのは、私たちが「最適化されたシステム」のなかで、全体像の見えない作業に慣れはじめているからかもしれない。工場のライン最適化のように、私たちがどんな仕事に取り組むかを決めるのは、もはや経営者ではなく、それよりもはるかに合理的な知性を備えたAIであるかもしれないのだ。

(提供:adobe stock)

(提供:adobe stock)

「工場というロボットを司るAIが『作業の最適化』だけでなく、『売上の最適化』にまで乗り出したらどうでしょう。ある日パン工場の経営者が工場に来てみたら、元々はあんパンをつくっていたのに、ラインはクリームパンであふれている。きっとAIが『これからの季節は、クリームパンが売れる』と判断したんでしょう(笑)。冗談に聞こえるかもしれませんが、技術的にはそう難しい話ではありません。ここまでAIが主体的に振る舞うようになると、私たちはAIに『意識的な思考』が宿っているかのように感じるはずです」

議論が進む「ロボット権」

自己進化を続け、ときには意思があるかのように振る舞うロボット。私たち人間は、それを制御することができるのだろうか。

「AIの進化とは関係なく、すでに私たちはロボットを100%は制御しきれていません。人間の操作する自動車だって同じですよね。どんなに精巧なロボットでも、予想外の事故が起きます。ただ今のところ、ロボットが思わぬ事故を起こしても、その責任は所有者ないしは製造者が担うことになっています。だから私たちは『ロボットは制御下にある』と一応は感じている。思いもよらない動きが起きても、責任を人間が取れれば問題ないという考え方ですね。けれども、先ほど話したような主体的に振る舞うロボットが登場すると、その責任を人間が負いたがるとは思えません。『ロボット自体を責任主体にしよう』という意見が必ず出てくるはずです」

人間以外を責任主体に据える――実際に私たちの社会では、企業という「組織」を「法律行為の主体」とみなす「法人格」という概念が存在している。であるならば、ロボットに法人格を付与することも可能なのではないか。その場合、ロボットに権利能力も認めるべきではないか。こうした議論は、既に法学の分野で始まっており、「ロボット法」と呼ばれる新たな学問分野も生まれつつある。

「『法人格』に留まらず、いずれは『人権』ならぬ『ロボット権』だって付与されるかもしれない。そうなってきたらいよいよ、『ロボットには意思がある』と認めざるを得ないでしょうね」

(提供:adobe stock)

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「最後のロボット」は人間に限りなく近づく

その一方で、吉崎さんは「そうした未来が実現する前に、ほとんどのロボットはロボットを卒業する」とも指摘する。「ロボットを卒業する」とはどういうことだろうか。

「私はロボットの本質を『効率的な解が確立されていない課題を、冗長な仕様で強引に解決するアプローチ』だと捉えています。例えば、課題を『部屋の清潔さを維持すること』だとしましょう。そこで『人間と同じかたちにしておけば、掃除だってできるだろう』というのがロボット的な発想です。けれど開発の過程で『とりあえず床がきれいならいいよね』『手や足はいらないよね』と、解が効率化されていく。その結果、生まれたのが『ルンバ』なわけです。今やルンバは誰も『お掃除ロボット』とは呼びません。ルンバに限らず、最適化を実現したロボットは、ひとつの製品カテゴリとして認識されるようになる傾向があります。ドローンもその一例ですね。私はこうした現象を指して、『ロボットからの卒業』と呼んでいます」

ロボットは最適化を経て、ひとつの製品カテゴリへと卒業する。つまり、ロボットとはあくまでも過渡期の存在なのだという。では、さまざまなロボットがロボットを卒業していったときに、それでもロボットとして残るのはどんなものなのだろうか。

(提供:adobe stock)

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「最後まで『ロボット』と呼ばれるのは究極の冗長性を備えた機械、つまり人間と同等の判断能力と汎用性を持った、人型の万能機械なのではないでしょうか。でも、具体的な仕事をお願いするなら、最適化された専用機械に頼んだ方が早いわけです。じゃあ、彼らは何をしてくれるのか。もしかしたら具体的なタスクに還元できないような『役割』を担う存在、私たちの家族だったり友人だったり、そんな存在になるかもしれません」

何でもできそうだが、何を任せたらいいのかわからない。だからこそ一緒にいたくなる。そんな人間味あふれる存在こそが、「最後のロボット」にふさわしいのかもしれない。

吉崎 航(よしざき わたる)
アスラテック株式会社 チーフロボットクリエイター/V-Sido開発者
1985年、山口県生まれ。2010年、倉田光吾郎氏のプロジェクトである水道橋重工に参加し、巨大ロボット「クラタス」(KURATAS)の制作に携わる(V-Sidoによる制御を担当)。2013年7月よりアスラテック株式会社チーフロボットクリエイターに就任し、現職。また2018年には、一般社団法人ガンダムGlobal Challengeのシステムディレクターに就任。日本でも有数なロボット技術者として、広くロボットの普及に努めている。
編集・文:株式会社ドットライフ、福地敦

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