2019.02.21.Thu
高齢者も夢中に
VR旅行はどこまで進化するのか
VR(仮想現実)の技術を使って、外出の難しいお年寄りに「疑似旅行」を楽しんでもらう取り組みが行われている。企画・開発をしているのは東京大学 先端科学技術研究センター(以下、先端研)の職員・登嶋健太さん(32)だ。元柔道整復師で元介護職員という異色の経歴の持ち主。現場で培った経験と熱意で、介護の新しい形を切り開こうとしている。
――登嶋さんが考案したVRを用いたサービスが、お年寄りに大変好評だそうですね。一体どのようなものですか?
「国内外のVR映像を楽しむ『VR旅行』を、全国各地のお年寄りに提供しています。体験されたかたは500人以上になりました」
――VR旅行......まだちょっと、ピンときません。
「それでは体験してみましょうか。このVRゴーグルを装着してみてください」
――どこかの景色の写真が見えました!
「上下左右を見回してみてください」
――うわぁ、360度すべての景色が見られますね! 空が広いです!!
「体が不自由なお年寄りは、旅行どころか外出や歩行も困難です。もう何十年も旅行をしていないというかたにも、自宅や施設で手軽に旅行を楽しんでもらいたい。そんな思いで始めたサービスです」
――登嶋さんのツイッターで、屋久島VR旅行を体験されているかたの動画を拝見しました。高齢者が子供のような表情で映像を楽しみ、感激のあまり涙ぐむ姿を見て、こちらまで胸がいっぱいになりました。
「みなさん、映像を見ながらとても喜んでくださいます。あるお年寄りに、通っていた小学校をお見せしたときは、一本のVR映像を30分も40分も見ながら、当時の思い出を話してくださいました。普通の写真だと写っている場所のことしか思い出せませんが、その写真のちょっと横が見られるだけで、次の記憶がどんどん出てきて、当時に戻ったような気持ちになるようです」
撮影した映像は250本
――ちなみに、VR映像はどのように入手しているのですか?
「当初は私が現地に足を運び、360度カメラで撮影していました。クラウドファンディングで資金を集めて海外28カ国、国内35都道府県を撮影。映像は250本ほどになっています」
――日々の仕事もある中で、大変ですね。
「そうですね。私一人では対応しきれなくなってきたので、『アクティブシニア』と呼ばれる健康なお年寄りに撮影をお願いすることにしました。360度カメラの撮影講習を受けたアクティブシニアが現地に行って撮影し、専用のサーバーにアップロードするんです。2017年の秋にスタートした取り組みですが、すでに500本以上のVR映像が集まりました。海外からアップロードする"ベテラン"もいらっしゃいます」
――登嶋さんが撮影した本数の倍以上!
「アクティブシニアには『撮影』というモチベーションがあり、外出する機会が増える。一方、外出が困難なお年寄りは、視聴するコンテンツが多いほうが楽しいわけです。Win-Winの関係ですよね。また、この取り組みは高齢者の雇用創出につながるということで、自治体とも話を進めています」
VRを認知症予防に
――このような取り組みと並行して、登嶋さんが行っている研究について教えてください。
「『VRが高齢者の心身に与える影響』というのが大きなテーマです。介護施設のお年寄りにVR旅行を体験してもらっていますが、そのデータを集計・検証しているところです」
――現段階ではどのようなデータが得られていますか?
「要介護度や認知症のレベルでグルーピングしてみると、『この写真を見ると発話がある』とか、『精神状態によってVR体験に変化がある』といった傾向が見えてきています。VR体験を重ねることで、お年寄りの認知機能や運動機能にどのような変化が表れるのか。客観的なデータ収集を行い、2~3年で形にできたらと考えています」
――「大きなテーマ」とのことでしたが、他にも研究テーマがあるんですか?
「先ほどのアクティブシニアの就労プロジェクトもそうですし、VRを生かした認知症予防も研究テーマの一つです。介護業界には『回想法』と呼ばれる認知症予防法があります。懐かしいものに見たり触れたりして過去を思い出し、脳を活性化させるという手法です。これにVRを用いて、予防プログラムのようなものを作りたいと考えています」
柔道整復師から介護職員、研究者に
「今は東大の研究室で働いていますが、私の最終学歴は専門学校卒業です」。登嶋さんはそう冗談めかして笑う。高校卒業後、専門学校を経て柔道整復師になり、25歳の時に介護施設に転職。お年寄りのリハビリを担当する機能訓練指導員として勤務していた。そこからなぜ、VRの道に進むことになったのか?
――登嶋さんのキャリアはとてもユニークですね。
「もともとはスポーツトレーナーを志望して柔道整復師になり、治療家として接骨院に勤務していました。朝早くから近隣のお年寄りがいらして、治療というよりおしゃべりをしに来ているような状況でした(笑)。そんなある日、常連のかたがパッタリ顔を見せなくなったんです。『最近○○さんを見かけませんね』と別のかたに聞いたら、『実は転んで寝たきりになったのよ』と言われてショックを受けました。いつも楽しくおしゃべりしていたお年寄りが、体調を崩して接骨院に通うこともできなくなる......。そういうことを何度も経験するうちに、自分のスキルや資格でお年寄りのために何かできないかと考えてデイサービス(日帰り型の介護施設)に転職しました」
――機能訓練指導員として、どのような業務をされていたんですか?
「利用者のリハビリプログラムを計画・実施していました。リハビリの計画書を作るために利用者が3カ月後、半年後、1年後にやりたいことを聞くのですが、『元気になったところで、どこかに出られるわけでもないし......』と訓練する意義を見失っているかたも多かったんです。
何かリハビリのモチベーションになるようなことはないだろうか。そこでまず思いついたのが、写真を見せて『ここに行きたい』と思ってもらうことでした。当時働いていた施設の近くに、立派な梅園がありました。利用者のかたから『最近行っていない』という話を聞いたので、休憩時間に撮ってきて見せたんです。するとすごく喜んでくださって」
――具体的な目標ができて、訓練にも身が入りそうですね。
「『ここの右にお店があったでしょ』とか『後ろにベンチがあって、旦那と座った』とか、一枚の写真から色んな記憶が掘り起こされていくのがうれしくて、毎日新しく出てきた情報をもとに撮りに行っていました。そのうち休みの日まで使うようになったので、効率のいい方法を探しているうちに、360度カメラと出会いました」
――当時、360度カメラは手軽に手に入るものだったのでしょうか?
「一介の介護職員が手を出せるような金額ではなかったので、メーカーの問い合わせフォームから『介護施設のお年寄りのために使いたい』と伝え、カメラとゴーグルを借りました。当時の360度カメラはGoProを5、6個連結して撮影し、それぞれの写真をつなぎあわせる編集作業が必要だったんですが、この作業もメーカーにやってもらっていました」
――写真や動画とは違って、VRはリハビリの合間には見られないと思うのですが、どのようなタイミングで見せていたのですか?
「リハビリの自由時間や談笑の時間に使っていました。あとはリハビリの直前ですね。リハビリは昼食後に実施することが多いのですが、食事後はあまり動きたくないじゃないですか。利用者も『今日はやらない』となりがちなんです。そんなときにVRを見せてあげると、上を向いたり下を向いたりするので体に動きが出てきます。さらに思い出の場所なんかを見せてあげると喜んでくださるので、『いいものを見せてもらったし、仕方ないから運動してやるか』と(笑)。体にも心にも動きが出て、リハビリに移行しやすかったです」
――先端研に移られた経緯についても教えて下さい。
「先に紹介した、クラウドファンディングで資金を集めたVRプロジェクトから帰ってきたあとに、日本バーチャルリアリティ学会で講演する機会がありました。そこで、『VRを使ったら楽しいね』というだけでは、施設のサービスとして広まっていかないということに気づいたんです。VRをきちんと研究して、『普通の映像体験とは明らかに違った反応がある』とか『何かの予防になる』ということが証明できれば、前向きに使ってもらえるのではないか......。そんなことを思い始めていた時に、学会講演を主催してくださった檜山敦先生(先端研講師)からお誘いを受け、現職に至りました」
VRで変革する老後生活
これからIoTの発達で「第4次産業革命」に突入し、我々には予想もつかない変化が訪れると予測されている。超高齢社会の日本においては、高齢者とテクノロジーの関係はより密接なものになっていくだろう。VRは、そんな未来にどのような影響をおよぼしていくのか。
――登嶋さんの2,3年後の展望についてお聞かせください。
「次世代の通信システム『5G(第5世代通信)』がスタートし、インターネット上で扱える情報量は爆発的に増えます。これを利用して、手軽にハイクオリティなVR旅行ができるようになると思います。例えば現状のシステムはVR映像を生配信すると、データ量が膨大なため、数秒から数十秒の遅延が発生します。これも5Gにより、全く遅延のない、高品質の生配信ができるようになります。
また、VR旅行ロボットの開発が進み、視覚や聴覚だけではなく、触覚などの新しい知覚も専用グローブを装着することで再現が可能になります。VR旅行はより楽しいものになっているはずです」
――今のVRゴーグルは変わりそうですか?
「今後はメガネ型のウェアラブル(着用式)が主流になります。介護スタッフはAR(拡張現実)やMR(複合現実)を活用したウェアラブルな状態で、利用者の顔を見るだけで、その人の身体データや健康状態を把握できるようになるでしょう。介護スタッフの経験はこれまでと同様に大切ですが、命にかかわる現場なので、最新のテクノロジーがいち早く導入されることを願っています」
――続いて、20年後はいかがでしょう。団塊ジュニア世代が65歳を超えるのが2040年です。
「30歳を過ぎてようやくキャンパスライフを経験している身なので、20年後のことはまったく予想できません(笑)。ですので、現在の活動の延長線でお話させてもらってもいいですか。
先ほど、アクティブシニアが体の不自由なお年寄りのために、映像を撮りに行っている取り組みを話しました。今、元気にあちこちを歩き回っている60代のアクティブシニアも、20年後は要介護側に回る可能性が高いわけですが、そのときに、20年前の元気だった自分をVR空間で振り返ることができるようなシステムを作りたいです。わかりやすくいうと、タイムマシーンのようなものです。人のために頑張っている『今』の奮闘を、20年後の『元気の薬』にしてあげたいと言いますか。
究極を言うと、自分が年をとったときに自分が思い描いていたとおりの社会になっているといいですね。不自由を補填するテクノロジーが確立されていて、年齢も性別も国境も、すべてがつながり、コミュニケートできるような社会が理想です」
――お年寄りも障害を持っている人も、みなが同じように行動できる世の中。ぜひ実現してもらいたいです。
「私は今、コラムニストの神足裕司さんのお手伝いをしています。神足さんは2011年にくも膜下出血で要介護者となり、今日のことを明日には忘れてしまう記憶障害を抱えています。
要介護5の目線から見える日常をコラム連載されていますが、取材先では失う記憶を補うために、メモや写真をこまめに取っていたそうです。昨年からは私がレクチャーし、360度カメラを使うようになりました。取材場所だけではなく、自分の表情も含めて記録できる360度カメラは、より多くの情報を得られるそうです。要介護者でありながら、仕事を続けられている神足さんと話していると、すごく先進的なことのサポートをさせてもらっているなと、大きなやりがいを感じます」
――働き盛りの世代には、「年をとったら何もできなくなるのではないか」という不安があると思います。登嶋さんのお話で、年をとっても色んなことが楽しめる未来が待っているということを実感し、なんだかほっとしました。
「世の中は、間違いなくその方向に進むと思います。未来をよりよいものにするために、私もしっかり頑張らないといけませんね」
- 登嶋健太(としま・けんた)
- 1986年、神奈川県横浜市生まれ。高校卒業後、専門学校を経て柔道整復師として接骨院に勤務。2012年に高齢者介護施設に転職し、2014年からVR旅行サービスを開始する。2017年に総務省異能vationジェネレーションアワードで特別賞を受賞。2018年4月から、東京大学先端科学技術研究センター稲見・檜山研究室 学術支援専門職員。
- 取材・文:青木美帆(あおき・みほ)
- 1984年、山口県生まれ。スポーツ専門誌の編集部を経て独立。バスケットボールをメインに、アスリートのコンディショニングの話題、起業家インタビューなどを寄稿中。Twitter: @awokie
- 撮影:山田高央