2023.03.08.Wed
3Dプリンタの可能性から食の尊厳を考える
誰も取り残さない未来のやさしい食卓
フードテックはどのように進化していくのか。3Dプリンタを活用して、新しい介護食の開発などに取り組む山形大学有機材料システムフロンティアセンターの川上勝准教授に、デジタルと食の技術を融合させた未来について話を聞いた。
3Dプリンタで食感を楽しむ料理を作る
ものづくりの現場でイノベーションを加速させている3Dプリンタで、料理すら作る。そんな未来は実現するのだろうか。
山形大学では、柔らかい素材を出力できる3Dゲルプリンタを世界に先駆けて開発。柔らかい素材を扱う3Dプリントのノウハウを活かし、ペースト状にした食材から、食感や形のある「介護食」をつくることが試みられている。
このプロジェクトを牽引するのは、山形大学有機材料システムフロンティアセンター准教授の川上勝さん。川上さんは早くから3Dプリンタに注目して、科学をわかりやすく伝えるための道具として、タンパク質模型を3Dプリンタで出力していた。
「これまでは3Dで再現するのが難しかった複雑な形状やデジタル化された構造を、人間の技能や技術をほとんど使うことなく具現化できる3Dプリンタのポテンシャルに惹かれ、研究に携わるようになりました」
3Dプリンタそのものの開発や材料開発、さらには応用先の研究をする中で、食品への活用も一つのテーマだという。
「最初のうちは直接食品をプリントするというよりは、その食品の鋳型を作ったりして、食品の形のカスタマイズを楽しむような使い方をしていました。やがて、地元の企業と一緒に、材料を押し出すタイプのプリンタを開発しました」
しかし、食品の分野で形をつくるだけでは「面白いね」というだけで終わってしまう。食べ物の形のカスタマイズは、イベントとしては良くても、頻繁に行う必要もない。また、柔らかい素材なので、普段の食事と同じような形のものは再現できない。研究が伸び悩んでいるときに、介護食を販売している会社から共同研究を持ちかけられたという。
「介護食は、食材がペースト状に加工されているため、食感が楽しめなかったり、見た目にも料理とは言い難い場合があります。型に流し込んで固めた介護食は噛むと固さが均一で食感が出ないのですが、3Dプリンタを用いて一つのノズルではなく二つのノズルから二種類の固さが違う材料を立体的に配置すれば、食感にアクセントを作り出せるのではないかと。そこから、介護食の本格的な研究が始まりました」
食欲をそそるのは栄養素ではない
川上さんが3Dプリンタで作ったかぼちゃは、実のオレンジ色の部分と皮の緑色の部分が別々のノズルから出力される。
「見た目もかぼちゃらしく、食べたときに実の甘みと皮の苦味が混ざることで、かぼちゃを食べている実感が得られます。焼鮭なども同様に、焦げ目のついたしょっぱい皮の部分と身を一緒に盛り付ける。風味や塩味を感じられる形で提供するだけで、食欲がそそられる。そういう効能があると感じています」
食感に注目して介護食を進めてきた川上さんですが、現場で話を聞く中で見た目の大切さもあらためて認識することになったという。
「形の楽しさは、私たち研究者はそれほど必要ないと思っていましたが、介護食を食べている人たちは、普段、どろっとした形のないものを食べています。それが、もともとの食材を連想させるものではなかったとしても、お皿に料理として盛り付けられているだけで、食欲が増すと思います」
高齢者にとって食べることは健康に直結するもの。食欲を持ってもらうことは重要だ。また、他の人と同じようなものを食べられることの心理的な負担の軽減にも言及する。
「高齢者施設で、介護食しか食べられない方は、他の利用者が食べるものと比べて、『自分はペースト状のこんなものしか食べられないのか』と感じることもあると聞きます。他の方と同じ形のものが出てくるだけで、気持ちが軽くなるのではないでしょうか」
普段の食事だけでなく、介護施設で行われる季節のイベントのときにも食欲への効果を発揮する。例えば端午の節句や桃の節句など、イベントに合わせた料理を提供するときに、介護食だとそうはいかない。そんなときに、3Dプリンターで出力することで、柔らかい素材を使いながら、季節の料理を再現できるかもしれない。
また、3Dプリンタでの介護食が実現されると、介護の現場で働く人の負担の軽減にもつながる。材料とレシピがセットになった状態のものができれば、固形物をペースト状にするといった調理の手間が軽減され、すぐに食事を作ることができる。さらに、将来的には一般家庭にも普及することで、家庭での介護の手助けにもなる。
「インクジェットプリンタのインクカートリッジの様に、介護食のカートリッジができれば、それを買ってきて、自分の家にある3Dプリンタで出力すればいいだけです。最初は病院や介護施設での導入が進むと思いますが、食べた人や家族にいいと感じてもらえば、家電メーカーなども目をつけるのではと思います」
出力する時間や分量、洗浄や衛生などの課題を一つずつ解消することで、介護食は大きく変化するかもしれない。
食べ物がトランスフォームする
ノズルを増やし、複数の食材を使うことで、固さのアクセントを作れるようになった3Dプリンタは、食の未来をどう変えていくのだろうか。
「3Dプリンタ自体が、味付けをしたり、焼いたりといった調理をするところにはまだ至っていません。あくまで、あらかじめ準備した材料を詰めて、きれいな形に積み上げるというものです。ただ、出力するときにレーザーを照射して加熱するような試みも研究されています。デンプンの熱凝固作用を利用して、出力されたときに固くなるような研究もありますが、食感はデンプンを固めたもので、一般の人が普段食べている食事を再現できるかというと、まだ実現には至っていません。」
一方で、培養肉や昆虫食との相性はいいのではないかという。
「例えば昆虫食など、見た目に抵抗があるものを一旦粉末にすることで、見た目の問題はクリアできますが、それを固めるだけだとあまりイメージが良くなかったりする。それを3Dプリンタで全く別の形にすることで、元のイメージを消すとか。培養肉も、脂身の赤みのような部分を再現して、より肉に近い形にしたり。一旦バラバラにしたものを形を変えて価値の高い食材に似せるという方針の食品では、カニカマは大ヒット商品ですね。それと近いようなものですが、三次元的に込み入った複雑なものを作れるのが3Dプリンタの特徴です」
ノズルを増やすことで材料を増やすことはできるが、その分装置が大掛かりになったり、プリント時間が増えたりと、現実的な課題はある。とはいえ、食の工場の製造ラインなどに組み込まれるなど、可能性は十分にある。
また、少しだけ味付けするといったことも可能になるかもしれない。
「例えば、本当にちょっとだけの塩分とか、アロマのようなものを射出するノズルをつけることができれば、一人ひとりの好みに合わせて塩分量を調節できたりします。表面に少しだけ塩分をまぶして、しょっぱく感じるけど、実際には塩分が少ない食事など実現できるかもしれません。ノズルを増やすと、そういった健康的な食事などにも可能性が広がります」
3Dプリンタで作る料理は日常食になるのか
食と3Dプリンタ、様々な可能性が模索される一方で、川上さんはあくまで「イレギュラーな食事の助けになるものではないか」と話します。
「一般の人が食べる食事に3Dプリンタを使う必要性があるか、根本的なところから議論すべきだと思います。イベント的に楽しいという理由だけでは、根付かないと思います。食事は毎日のことで、安さや手間がかからないことが大事で、そこに入り込む余地があるかというと、少し懐疑的です。先程話した昆虫食や培養肉のように、トランスフォームするときに活用することで、未来の食事という印象で付加価値をつけられるとは思います。ただ、すでに食品業界も外食産業もこれだけ発展して、値段も低くおさえられている日本でどこまで普及するかは私の想像力ではまだ及ばないですね」
一方で、食事の制限やカスタマイズを求める人に活用される可能性を見出す。
「例えば、アスリートが運動後に食べる、自分の好みのタンパク質でカスタマイズするような食事ですね。他にも、特殊な職業の方が活用したり、そういった可能性は十分あると思います」
3Dプリンタで食を出力することができるようになると、食事に制限がある人の食の選択肢が広がるのかもしれない。
食の尊厳を守る
食事は一日に複数回行うもので、人の生活に直結する。食事を制限された人の選択肢が増えることは、幸せにも直結すると川上さんは考える。
「介護の現場では、他の利用者の方と同じものを食べたいし、季節の彩りを感じられるものを食べたい。家庭でも、家族と同じ見た目や形のものを食べたいという気持ちがある。QOL(quality of life)というか、食の尊厳というか、それを補うのが3Dプリンタだと思います。本当は人の手でやる方が、温かみもあってよりいいのかもしれませんが、手間がかかると現実的にはなかなか難しい。そういうところを3Dプリンタで実現していく。これから、在宅介護は増えていくと言われています。私たちも普段、ご飯の献立に悩むのに、栄養などを考えた介護食はなおさらです。そういうときに、今日はこれを食べてくださいと指導してもらえて、3Dプリンタで出力するだけだったら、介護する人はすごく楽です。栄養指導が伴っているので安心して食べてもらえるし、見た目も楽しければ、いろんな意味で介護する人もされる人にとっても便利になるのではと思います」
食べるということが持つ意味は、栄養を取るだけではない。見た目を楽しむ。季節を感じる。あるいは、食べるという行為そのものに、幸せを感じたり、生きている実感を感じたりする効果があるのかもしれない。
介護食から、「食べる」の意味をあらためて考えてみたい。
- 川上勝
- 山形大学有機材料システムフロンティアセンター准教授
専門は生物物理学、構造生物学。神戸大学大学院修了、理学(博士)。3Dプリンタに早くから注目し、タンパク質分子模型の製作方法を開発。現在は3Dプリンタの科学、医療、介護食への応用を研究中。
- 取材・文:島田龍男
- 編集:伊藤義子(FQ編集部)