未来、食べる行為はどうなるのか?

2023.02.13.Mon

ロボット学者石黒浩インタビュー

未来、食べる行為はどうなるのか?

2018年、未来を発明する人々をエンパワーメントする「FQ (Future Questions)」がスタート時にテーマとして取り上げた「20XX年、人類は何を食べるのか?」。あれから4年、フードテックはどのように進化し、私たちの選択肢を変えているのか。今回は素材だけではなく、食べる行為そのものについて考える機会にしたい。
アンドロイドロボットの研究から、人間そのものの存在を解き明かそうとするロボット学者/大阪大学教授の石黒浩先生に、食への価値観・未来への展望について話を聞いた。

食の価値観は、納得する=体に何かを取り込むこと

ロボット学者の石黒先生にお話を伺うため、大阪大学にある石黒研究室を訪問した。ドアを開けた途端に目に入ってきたのは、先生そっくりの胸像(アンドロイド)だ。テレビなどでよく見かけていたが、実際に見ると想像以上にリアルで驚いた。

「始めましょう」

先生の声を合図に、先生の好物だと聞いていた「プッチンプリン」を渡してテーブルについた。先生は慣れた様子で封を開け、小さなプラスティックのスプーンでプリンを食べながら話し始めた。

「プッチンプリンはレストランHAJIMEで"恋愛"っていうテーマの時に出てきました」

HAJIMEとは、大阪にあるレストランだ。シェフ独自の美意識を通して自然から地球にいたる全ての存在への敬意を料理で表現するレストランとして世界から注目されており、石黒先生の書籍にもたびたび登場している。

「まずは皿にカラメルの匂いがする紙だけが置いてあるんです。匂いを嗅いでいたら、皿が下げられてしまって。次の大きな皿が出てきたと思ったら、ウェイターがプッチンプリンを皿のど真ん中にポチョンと押し出すわけ。横にスプーンがあるから、いざ、食べようと思ったら、移動式テーブルごとプッチンプリンが乗った皿が向こうに行ってしまって食べられない...。茫然していたら、こう言われたんだよね、これが『"恋愛"なんです、叶わないんです』って」

"恋愛"をしているときは、相手のことばかり考えて気持ちが一方通行になっているかもしれない、ということを表現しているのだろうか? 話を聞き納得したような、しないような気持ちになっていると、先生は言葉を続けた。

「『食』というのは、人にモノを理解させる行為でもあるわけ。モノを外部から取り込むってことは人間としての基本的な機能です。それだけでなく、そこに知識や趣向を重ねるといろいろなものを受け入れやすくなる。HAJIMEで今回の料理を食べた時、他にも美味しい料理が出たけれど、すべて忘れて、その後プッチンプリン食いまくったもん」

HAJIMEのシェフである米田肇(よねだはじめ)さんは石黒先生から与えられるコンセプトを元に毎回新しい料理を創作しているそうだ。

「納得するっていうのは、身体に何かを取り込むということ。『あなたの意見に、私は納得しました』っていうのは、脳の中に意見を取り込むということでしょう。だから『食』って、食べ物を身体に取り込んじゃっているので、すごく納得しやすいんですよ。だからHAJIMEは、ずるい。料理で表現したコンセプトを食べるという行為で納得させてくる」。

私たちは言葉を使って相手の納得を得ようとすることが多い。しかしそれは、言語化した主観の押し付けで、相手は物理的に飲み込むことができない。確かに食を通じての行為であれば、外部から実際に体内にモノ取り入れ、消化吸収する過程を経て、内部から納得することがしやすくなるのかもしれない。

食の役割は主観と客観が入り混じるコミュニケーションである

「そもそも猿や他の動物は、基本一人で食べる。それは自分を守るためであり、食べ物を他人に与えずに一人で囲って食べた方がいいわけです。つまり、集団で食べることは、人間が社会性を持っている生き物だということ。コミュニケーションを円滑にさせるために集団で食べるわけです。特に食べるという行為は、主観と客観が両方入り混じっている」

人間だけがコミュニケーションの手段として『食』を使っている。しかし食べるという行為の主観と客観とは、どういう意味だろうか?

「"私はワインが好き"という主観的な意見と、"このワインは1990年のものだ"のような客観的な事実があるけど、この主観と客観によって社会の中で様々な人と関われるわけです。社会の中で多くの人と関わりながら、いろんなことを学ぶ一方で、それぞれの個体が賢くなっていく。こういう仕組みが出来上がっていないと、社会は成長できないんです」

集団で食事をすること、それは、社会的な生活をする人間が集団の中でコミュニケーションを円滑にするために必要なことだ。そして、個体としての "私"が、他人と関わることで、学んでいくことが社会の成長に繋がるという。人間にとっての食の役割を理解した上で、未来の食はどうなるのだろうか?

「文化や技術が進んでいくと、食の形態どんどん変わっていくかもしれないけど、みんなで何か一緒に共有して、意見を交換する場として、食べるという行為は当分続くだろうなって思いますね」

食材として食べることができるロボットはすでに完成している

私たちの未来を考える上で、テクノロジーと生活は常に結びついている。石黒先生はこれまでにもロボットと食の形態について言及してきた。書籍『人間とロボットの法則(2017年日刊工業新聞社出版)』の中で、食に関するロボットには三つあると書かれていた。「料理をつくるロボット」「料理を食べるロボット」「食べられるロボット」だ。

(提供:adobe stock)

「料理をつくるロボット」はアーム型ロボットが材料を混ぜたり、焼く・茹でるなどの調理をおこなう。すでにパスタ調理ロボットを導入する店舗もでてきており、今後活用シーンが増えていくことが予想できる。二つ目の「料理を食べるロボット」は、人間のようにある栄養素を食材から取り出すことができる。また味覚をもち、食物を味わえる。こちらもセンサーを使えば実現可能といえる。

著書でも最も実現の見通しがたっていないとされているのが、「食べられるロボット」だ。可食ロボット、すなわち、人間が食すことを前提としたロボットを意味する。食べられる食材で作ってみようとする取り組みがなかったとあるがその後、研究は進んだのか聞いてみた。

「もうできましたよ」
あっけなく答えがでた。論文も発表されているという。
「ピクピク動いて踊り食いみたいに食べられるよ。素材は簡単に言うとグミだね。料理人にちゃんと作ってもらって衛生管理もしたよ」

グミでできた可食ロボット。ウネウネ動いている部分が食べられるロボットだ (提供:電気通信大学 仲田 佳弘)
「摂食を介したヒューマンロボットインタラクションを実現するための可食ロボットのデザインと動きの印象評価」(外部サイト)

「台の下のエアチューブから空気を入れて先っぽを動かしている。動くパターンが何種類かあって、生物的な動きを探しているわけ。生きてるってことが、味にどういうふうに影響を与えるのかを知りたいわけです。踊り食いは人間にとってどういう意味を持つのかとかね。まだ食べる実験は論文にはなってないんだけどね」

それにしても、おもしろい実験だ。生きていることが味に影響を与えることを知りたい、とはいったいどういうことなのだろうか。

著書『ロボット学者が語る「いのち」と「こころ」(2022年緑書房)」に書いてあったが、そもそも石黒先生は「生きるとはどういうことなのか」を考えているという。そこを起点として、生き物らしい動きとはどういうものか? 生きているものを食べるとはどんな感覚か? それは味に影響はあるのか? など、たくさんの疑問を感じているという。

「例えばみなさん、加工された牛肉は食べられるでしょ? でも牛を殺して肉として処理して食べたことはないでしょ? 生き物を殺してそれを食べるということが、どこまで許されるのかを考えてほしいんです。最近は許されなくなってきているのか、生き物を殺すのをやめようって人も出てきていますよね」

屠殺して食べることに嫌悪感を抱いている人はいるだろう。目の前に生きている牛を殺して食べることを躊躇する。本来、牛肉という意味では同じものであるはずだ。私たちは加工されたスーパーマーケットで並んでいる状態の食材を食べることに慣れてしまっていて、既に生きているものをいただいている感覚がなくなってしまっているのかもしれない。では、私たちの未来、屠殺することが今よりタブーになり、テクノロジーがもっと発展した世界を想像してみよう。そのとき、人工物を食べる行為は受け入れられるのだろうか?

「僕は人工物でも全然構わないですよ。だから僕の好物はプッチンプリンとカップヌードルだったりする。本当に新鮮な食材かどうかも判断できないのに、新鮮だって思い込んで食べることに、そんなに価値を感じない。栄養がコントロールされていて、『これだけ食べればいいんですよ』って言われたらそれで納得して食べますよ」

世の中の流れは生き物を殺すことを善しとしない動きになってきている。踊り食いのようなものは、まさしく新鮮さを表しているが、もしロボットが生き物らしく動くようになったとき、そのロボットを新鮮だと感じて食べる、という未来が来るのだろうか。

未来の食事は芸術となる

「生きている」という状態は味覚にどのような影響を与えるのかを研究している石黒先生に、食について美味しいと感じること以外に注目している要素はあるか聞いた。

「うーん、やっぱり『食事に何を表現するか?』っていうことだと思うんだよね。例えば、綺麗な絵を見ても視覚しか情報がない。そういう意味でも五感の全て持ってるのが料理なんです。だから、すべての感覚を使って向き合うのが食べるという行為だと思ってるのね。料理に芸術性を表現するというのがすごく大事だと思う。単に味覚だけで食べるのではなくて、最も人間らしい、知識・知能で味わうんです」

料理で大切なものは、何を表現しているかである。芸術分野にも明るい石黒先生らしい回答だ。レストランHAJIMEで"恋愛"というテーマの料理が出されたときに、その料理を通じて石黒先生は"恋愛"について深く考えたように、料理によって何を表現できるのか、そしてそこで表現されているものは何かと考える。このような知識欲を駆使して味わう行為が、石黒先生にとっての食の楽しみなのだ。未来の食について先生はさらに続ける。

「例えば、未来において人間が純粋な精神体になったとしたら、いろんな身体に乗り移れるようになるので、身体1体に縛られない。そうするとその精神体は外からモノを取り込んで、自分の中で知識として消化して、自分を成長させるために使っていくことになると思う。だから将来、人間は物体を取り込むだけではなくて、情報を取り込む生き物になってもおかしくないわけです。今だって、みんなスマホを手放せないでしょ? もう半分ぐらい精神体みたいなもんですよ。人間のほとんどは、スマホを持ち運ぶだけの身体になるんじゃないかな」。

もし身体がなくなったら味覚嗅覚などの五感はなくなるかもしれない。しかし、知識欲は人間の原始的な欲求だからなくなることはない、ということだろうか。ロボット研究の根源は人間そのものの存在を解き明かすことだという石黒先生の言葉には、未来の私たちにとって本当に必要なものは何かを考えるきっかけになる言葉ばかりだ。「食べる」という行為には、多くの意味を持っていたのだと改めて考えてみたい。

石黒浩
ロボット学者/大阪大学教授
大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻(栄誉教授)
ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェロー)
遠隔操作ロボットや知能ロボットの研究開発に従事。人間酷似型ロボット(アンドロイド)研究の第一人者。2011年大阪文化賞受賞、2020年立石賞受賞。著書に『ロボットとは何か』『ロボットと人間ー人とは何か』(岩波新書)など多数。
取材・文:里見優衣(FQ編集部)
編集:伊藤義子(FQ編集部)
写真:森川智文

Special Issue Vol.08